コロナワクチン 抗体依存性感染増強(ADE)について
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2021年1月19日 | 一般公開 |
抗体依存性感染増強 ADE とは
コロナウイルスの免疫を語る際には,「抗体依存性感染増強 Antibody-dependent enhancement, ADE」という概念を必ず考えねばなりません.
何やら難しい言葉ですが,ざっくり言えばこういうことです.
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コロナウイルスによるADEはネコで起きる
ADEを起こす病原体は珍しいのですが,コロナウイルスはどうなのか?
コロナウイルスは数多くの動物種に感染することが知られています.何しろ現在のSARS-CoV-2は何かの動物(コウモリ?ヘビ?)だけに感染していたはずのコロナウイルスが変異してヒトにも感染するようになったという仮説がありますし,SARS-CoV-2自体がさらにイヌやネコやミンクやゴリラに感染することがわかっています.
ネコだけに感染するネココロナウイルスもあります.
ネココロナウイルスのうち,ネコ感染性腹膜炎ウイルス(FIPV)というコロナウイルスはその名のとおりネコに重篤な感染性腹膜炎を起こしますが,これがADEによるものであることがわかっています.
ヒトのコロナウイルスではSARSコロナワクチンで理論的可能性
一方でヒトに感染するコロナウイルス7種のうち,明らかなADEの報告は1種もありません.SARS-CoV-2は少ないながらも2回感染する症例が世界各地から報告されていますが,2回目が重症となった患者は決して多くはなく,今のところSARS-CoV-2がADEを起こすというエビデンスはありません.
ただし,2003年に世界でアウトブレイクを起こしたSARSウイルスでは,ワクチンの開発段階で「開発中のSARSワクチンを接種したサルにおいて,T細胞レベルでの理論的なADEの可能性」が報告されました.
SARSウイルスワクチンはその後SARSそのものが終息したため,ヒトでの治験に進むことはありませんでした.そのためSARSワクチンがヒトで臨床的なADEを起こすのかどうかは不明なままです.
新型コロナワクチンでADEは起きるのか?
今回の3ワクチンでは治験において「重症COVIDは実薬群で減少するのか,または増加するのか」というエンドポイントが設定されました.実薬群で増加する,すなわち実薬群の方が重症COVIDが多く観察されるなら,ワクチン接種でADEが起きたと疑われるわけです.結果的に重症COVIDは実薬群で有意に少なかったため,少なくとも治験での人数・観察期間ではADEは検出されなかったことになります.
しかし,あくまで治験では検出されなかっただけです.今後数100万人,数億人と接種した場合に,ADEが後から発見される可能性がまだ残されています.
あるいは接種者全体では観察されなくとも,特定の人口集団に限って症例対照研究を行うとわずかにADEが検出される,という可能性も残されています.
デングワクチンDengvaxiaの悲劇
実際にワクチン開発において,治験では重症化が減少することが観察されたにもかかわらず,市販後の検証でADEの可能性が考えられた事案がありました.
デングウイルスに対するワクチン「Dengvaxia」の事案でした.
デングウイルスによるADEは典型的
デングウイルスは以前からヒトにADEを起こすことが知られています.
デングウイルスには4つの血清型(1型,2型,3型,4型)があり,ヒトは1つ1つの血清型には終生免疫を獲得します.
しかし,「最初に感染した血清型に対して産生されるようになった抗体が,2番目に感染した血清型と相互作用して,2回目のデング熱は1回目のデング熱より重症化しやすい」という現象が起きます.これが抗体依存性感染増強,ADEです.
デングウイルスのADEは特に小児で起きやすいことがわかっています.
例えば,2-14歳の小児 8,002 人を観察したコホートで,デング抗体を有する小児は抗体を持たない小児に比べて,その次のデング感染で重症デング(デング出血熱またはデングショック症候群)に 7.64 倍罹患しやすいという研究があります(信頼区間3.19-18.28).
そのためデングウイルスワクチンの開発に当たっては,「ワクチンで産生された抗体がその後のデング感染でADEを起こさないように設計する」ことが至上命題です.これは開発者にとって高いハードルとなり,デングワクチン実用化には長い時間がかかりました.
Dengvaxiaは治験段階ではADEが検出されなかった
その末に2014年,治験phase 3で ADE が観察されなかったデングワクチンがついに登場しました.
後に商品名「Dengvaxia」と名付けられるこのワクチンは,phase 3でデング感染すべてに対して 56.5% の VE を示しました.さらに,重症デングの1形であるデング出血熱に対する VE も 88.5% と良好な数字を示したのです.
今回の3ワクチンと状況は似ています.
Dengvaxia市販後の懸念
しかし,翌2015年に発表された下記の治験後長期観察において,不安な結果が報告されました.
接種から3年以内のデング感染による入院(※重症化を示唆する指標)を観察したところ,9歳以上の小児および成人ではプラセボに比して入院の相対リスクが 0.50 (95%CI 0.29-0.86) と有意に減少しましたが,9歳未満の小児については入院の相対リスクは 1.58 と上昇しており,「実薬群の方がデング入院が多くなる」という結果となりました.ただし95%信頼区間は 0.83-3.02 と1をまたいだため,統計学的な有意差は認められませんでした.
「9歳未満小児で実薬群の方がデングによる入院が増えたが,統計学的有意差はなかった」という微妙な結果に対して,掲載誌の New England Journal of Medicine は掲載号のエディトリアルで警告を発しています.
この流れの翌年2016年,フィリピン政府は世界で初めて Dengvaxia を「9歳以上の小児および成人」に限定して定期接種として導入しました.長期観察で9歳以上はデング入院が減少していたためです.
未感染の人口集団へのDengvaxia接種によるADEの統計学的な検出
その後6ヶ月超の間に83万人あまりの小児が Dengvaxia 接種を受けた頃,2017年11月末に製造元の Sanofi Pasteur が重大な発表を行いました.
Sanofi Pasteurのプレスリリースによると,Dengvaxia のさらなる長期成績を解析したところ,
- Dengvaxia接種前に既に1回以上のデング感染歴があった者では,Dengvaxia は2回目以降のデング感染も重症デングも予防する
- Dengvaxia接種前にデング感染既往がなかった者では,Dengvaxia 接種後の初めてのデング感染によって,逆に重症デングが増加する
という結果が明らかとなったというのです.
そして Sanofi Pasteur は Dengvaxia の添付文書を「接種対象者はデング感染既往がある者に限る」と改訂したのでした.
Sanofi Pasteur の発表を受けて,フィリピン保健省は2017年12月に Dengvaxia 接種を直ちに中止しました.
Dengvaxia中止がもたらした麻疹による国家的悲劇
以上が史上初のデングウイルスワクチンDengvaxiaが辿った経過です.
その影響はデングワクチンだけに留まらず,フィリピン全土での“反ワクチン忌避”にまでつながったのです.
Dengvaxiaの中止はフィリピンで大変な問題となり,市民,特に小児の保護者のワクチン忌避を引き起こしました.
現実には,治験ではなく定期接種として接種を受けた小児の大半で過去にデング既往があったかどうかはわかりません.フィリピンでは毎年数10万人がデングに感染するため,発熱してもデングを疑った厳密なウイルス学的診断は殆ど行われず,臨床診断されるのみか受診すらしないケースばかりだからです.
よって,Dengvaxia接種児が実際に重症デングに罹患したとしても,それが Dengvaxia による抗体が原因でのADEなのか,初感染であっても Dengvaxia とは関係のない(ADEではない)重症化なのか,はたまた Dengvaxia前に感染歴があって前回感染の抗体によるADEなのか,個々の症例で区別することは困難でした.
そもそも研究において統計的にのみ観察された事象について,市中での個々の症例が研究でのどちらの群に相当するのかを区別することは,原理的に不可能です.
しかし,一般市民はそのようには理解しません.Dengvaxia接種児が重症デングになれば,保護者が「うちの子はワクチンのせいで重症化した」と嘆くことは想像に難くありません.また,医療関係者がその保護者の考えを否定することもできません.
その結果,「Dengvaxiaは危険なワクチンだ」→「すべてのワクチンが危険だ」と世論がエスカレートしてしまいました.
ワクチン忌避による麻疹の強烈なアウトブレイク
ワクチン忌避の煽りを最も強く食らったのが,麻疹でした.
Dengvaxia中止前の2017年までは,フィリピンでの麻疹含有ワクチンの接種率は80-90%と比較的高く推移していました.特に2017年は89%と良好な成績でした.
ところが2018年は67%,2019年でも73%と破滅的に激減しました.
- WHO vaccine-preventable diseases: monitoring system. 2020 global summary - Coverage time series for Philippines (PHL)
- ※「MCV1」参照;他のワクチンも軒並み接種率が激減しています.
麻疹は感染力が強い(基本再生産数が12-18;新型コロナは2.5)ため,ワクチン接種率は95%以上を維持しなければ制御できないとされています.70%を割るような落ち込みは,麻疹大流行を間違いなく引き起こします.
実際にフィリピンの麻疹発生数は,2017年2,428人→2018年20,827人→2019年48,525人と,壊滅的に増加しています.
フィリピンにおける Dengvaxia の顛末をまとめた Wikipedia記事によると,2018年時点で Dengvaxia に由来する重症デング児は 14 人発生したと推定され,うち 3 人が死亡しました.
これに対して,フィリピンの2019年における麻疹アウトブレイクをまとめた Wikipedia記事によると,2019年4月13日までのわずか4ヶ月あまりだけの集計でも 415 人が麻疹で死亡しています.
死者の数だけで比較するのは不謹慎なのは承知の上で,
Dengvaxia由来のADEで3人死亡したことがきっかけで,麻疹ワクチンで守られるはずだった415人(実際にはもっと多数)が死亡した |
と言わざるを得ないのです.
新型コロナワクチンでDengvaxiaの悲劇は再来するのか
新型コロナワクチンでも,数年後にDengvaxiaと同様の事態が起きる可能性は,まだ残されていると言わざるを得ません.
ただし,仮に新型コロナワクチンで数年後にADEが報告されたとしても,統計学的な検証で初めて発見されるはずです.治験phase 3で重症COVIDに対する VE が88%超という高い成績を示したわけですから,「ワクチン接種者が短期間に次から次へと重症COVIDを発症していく」のようなシナリオはほぼあり得ないでしょう.
それでも,数年後に重症COVID患者に対するワクチン接種という曝露の有無について,接種者全体又は特定の人口集団で症例対照研究を行うと,ひょっとしたら統計学的にはワクチン接種者の方が重症化のオッズ比が有意に高くなるかもしれません.Dengvaxiaと同じ道を辿る可能性はまだあるのです.
もちろん,そのようにして発見されるADEならば,頻度は相当に低いはずです.であれば,「この重症COVID患者はワクチン接種が原因だ」などと断定することはまず困難でしょう.
未知の重篤有害事象と同じく,相当低頻度と予想される接種後ADEのリスクと接種しない場合の感染リスクを比較すれば,接種によるメリットの方がずっと大きいと考えられます.
個人の選択としては未知のADEへの懸念を理由に接種を控えるのは得策ではありませんが,ワクチンに対する医学的評価としてはADEの可能性は常に検証せねばならないということです.
その他,新型コロナとADEについて下記の総説もご参照ください.
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